わが家は共働きの3人家族(子どもは1歳)。
この頃、日々の暮らしの中で「時短」「効率化」「タイムパフォーマンス」を重視しすぎているのではないかと思う。
共働きの子育てに少し慣れてきたろころ、そろそろ「暮らし方を見直したい」と思うようになった。
そんなわけで、時短と効率化の落とし穴について、わたしの経験から整理してみたい。
共働きでも丁寧な暮らしがしたい
子どもが生まれてからというもの、特に「家事の効率化」を意識するようになった。
共働き家庭にとって、家事や育児、仕事のバランスをとるのはなかなか難しい。。
少しでも子どもとの時間を捻出するために、以下のような工夫を試みてきた。
- 家事を効率化して時間をつくる
- 仕事の時間を短縮して時間をつくる
- 他人の手を借りて時間をつくる(家事代行など)
私自身、現在は時短勤務をしているが、往復3時間の通勤時間の前にはその効果も薄い。
また、家事代行は心理的ハードルが高く、(もうにっちもさっちも行かなくなった時の最後の砦!感がある)まだ利用したことはない。
「家事の時間が長ければ、その分子どもと過ごす時間が減ってしまう」と考え、時短家電や時短料理を積極的に活用してきた。
少しでも子どもと触れ合う時間を確保したくて、「このやり方が絶対に有意義」と思い込んでいたところもあった。
「家事は短縮すべき作業」
「短ければ短いほど良い」
「どうすればもっと減らせるか」
そんな考え方が、日々の暮らしの中心になっていた。
家事の時短と暮らしの効率化にはデメリットもある
どんな物事にもメリットとデメリットがある。
時短や効率化によって得られる時間にも、見過ごせないデメリットがあると感じるようになった。
ここでは、私が感じた3つのデメリットについて。
1. 家事に手間をかける価値を見失う
家事に手間をかけることを「無駄」と感じるようになると、生活そのものに潤いがなくなる。
とくに料理については、「どうせ食べるのは一瞬」と思い、できるだけ手間をかけないようにしていた。
しかし、よく考えてみれば、手間をかけた料理はやはり美味しいし、何より作っている時間そのものが大切なようにも思う。
私は、母が手間を惜しまず料理を作ってくれた背中を見て育った。そんな私は本来、食べることを大切にするのは自分の体を労わること、生きることを楽しむことに繋がると思っている。
「家事=削るべきもの」という暮らし方は、確かに便利ではあるが、どこかで何か大切なものを失っているように思える。
2. 効率化を優先した部屋づくりに飽きてきた
掃除の手間を減らすため、また子どもの安全を優先するあまり、行き過ぎたミニマリストな生活になっていた。
確かにモノが少なければ掃除は楽である。しかし、その代わりに「自分の好きな空間」が失われていた。
私はもともと、少し手間のかかる凝ったインテリアが好き。だけど、そうした趣味も封印していた。
子どもが少し成長して生活のリズムがつかめてくると、「ここまでミニマリストでなくても大丈夫では。。?」と思えるようになった。
暮らしに潤いや楽しさを取り戻すために、そろそろ「好きな部屋づくり」を再開しても良いのではないかと感じている。
3. 子どもは親の暮らし方を見て育つ
前述のとおり何より気になるのは、こうした効率優先の暮らしが、子どもの価値観にも影響するのではないかという点である。
私が「何かを失っている」と気づけたのは、手間を惜しまず暮らしていた母の姿を見て育ったからだ。
もし私が家事を「無駄なもの」「できるだけ減らすべきもの」として排除し続けたら、それを見て育つ子どもも、同じような価値観になるだろう。
「暮らしを楽しむこと」
「料理をして、自分の口に入るものを自分で選ぶこと」
こうした一見当たり前の行為が、実は生きていく上で非常に大切な要素なのではないかと思うようになった。そこすら削るって、何のために生きてるのか?本末転倒というか。
最近では、子どもが1人でも遊べる時間が増えてきた。
と同時に、「子どもは本当に、本当に親の行動をよく見ている」ことを実感するようになった。
だからこそ、「もう少し家事や暮らしに時間を割いてもよいのではないか」と思い始めている。
おわりに
そんなわけで、共働き家庭の中で「時短と効率化」を追求することのデメリットについて書いた。
便利さの裏で失われるものにも目を向けながら、よりよい暮らし方を模索していけたらと思う。
それでも時間に追われる共働き世帯が、どのように「丁寧な暮らし」を実現できるかについて、何か良いアイデアがあればシェアしたいと思う。
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