夏に入って、ありがたいことに二人目の妊娠が分かり、いま妊娠10週になりました。
もう二人目で、ちょっと余裕を持って過ごすことができるのかなあと、思っていたところ、色々と考えるきっかけになるわたしにとって重たい出来事があって、気持ちがユラユラしています。
こんな時だからこそ、気持ちを言葉にしてみようと思いました。
なぜ子どもを産むのか、子育てをするのか
この問いは、わたしが一人目の出産・子育てをするなかで、ずっと考えてきたこと。
なぜ、子どもを産むのか。産みたいのか。
子育てという大きなミッションは、わたしにとって何を意味するのか。
正直なところ、妊娠中から出産したあとも、この問いへの答えは見つけることができずにいました。
でも、そんなものではないか、とも思います。
子育てをする前から、答えが出ている人っているのかな。答えは分からないけれど、大きな流れに身を任せて、そしてわたしは子どもを産みました。
いま思うことは、この答えはひとりひとりにとって、違うのだと思います。
わたしにとっての、子育てとは
一人目を出産して、すこし経った頃の私の答え。
わたしが親になることを望んだ。子どもによって、「親」にしてもらった。
こんな家族が作りたい。こんな子育てをしたい。
と、夢を描いたことはないといったら嘘になるけど、わたしは描かないようにしたい、という気持ちを持っています。
生きることって、わたしは素晴らしいと思う。
でも、もし辞めたくなったとしても、人生を降りたくなったとしても、生まれているから、生きていく。人生は続く。
これは前提としてあって、どこまでいっても子どもを産んだわたしは、子どもに生を与えて「あげた」のではなく、「産んでくれてありがとう」と無条件に言ってもらえる存在ではない。
この意識は、心の片隅に置いておかななければならないような気がするんです。
だからといって、わたしが今しんどいなあと思うとき、しんどくても生きなくちゃいけないのは産んだ親のせい、と思うのは絶対間違っていると思いますが...。
生まれてきてくれて、ありがとう。あなたが生きることは素晴らしいと思えるように、一緒に伴走するよ。
わたしの人生で経験したことは、全て伝えられたらいいなと思う、あなたが思うように生きるのを、生きられるようにお手伝いしたいと思う。
このように子どもを迎えられたら、ベストだと思っていました。
分娩予定の病院での二人目妊婦検診にて
今、このわたしの答えは、何事もなく生まれてくれて、すくすくと育ってゆくから、傍で見守る、という前提に立ったものなのかもしれない。
考えの甘さ、弱い部分を突かれたような気持になっています。
二人目の妊婦検診にて、先生から、赤ちゃんに異常がある可能性がある、まだ分からないから何とも言えないけど、念のために前倒しで次回の検診予約を入れてもらいますねと、お話がありました。
診察の詳しい内容を書くと、読んでいる方がもし妊婦さんだったときに、誤解や不安を与えてしまってはいけないと思うので、先生の診断の詳細については控えたいと思います。
話を聞いた時は、もうびっくりしてしまって、心臓は、どっどっどっと。
赤ちゃんに何が起こっているのか、わたしたち家族はどうなってゆくのか。
不安いっぱいのまま過ごしては、お腹の赤ちゃんに良くないと思うので、いま考えても仕方ないことは考えないようにしようと、夫とも話をしていています。
でも漠然とした不安に飲み込まれそうになる瞬間もあるかな。夫とはたくさん話しをして、しっかりしなければと、落ち着こうと思って、ブログを書いています。
一人目のときもこうだったから、二人目もこんな感じかなと、すこし夢を描いてしまっていたこと。反省しました。
当然のことだけど、一人目と二人目は同じことの繰り返しではないし、子どもを産むということ、子育てについて、改めて襟を正して考えたいと思っています。
そして、この子は、わたしの人生の経験がまったく役に立たない新しい世界へ導く存在になるかもしれません。
なぜ、自分が歩んだような人生を、子どもも経験してゆくのだと、そんな安易なことを考えていたのか。視野の狭さに恥ずかしくなるような、己の考えの浅さに、親を2年やってきたけど、わたしにそんな資格があるのかと。
どんなことが起こっても、前向きに頑張っていけたらと、そんな気持ちになれる瞬間もあるけど、でも、まだまだ揺れています。
書く前は怖い気持ちもあって、書けないと思っていたけど、勇気を出してここに気持ちを吐き出せて良かったです。思っていた以上に気持ちを整理することができました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント